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zoom RSS 九洲帝國大學捕虜生體解剖事件

<<   作成日時 : 2015/07/11 19:49   >>

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熊野以素 『九州大学生体解剖事件』 七〇年目の真実(岩波書店2015年4月)を讀む。

事件が事件だけに あまりにも悍ましく なんども止めようと思ったが、一方では 讀まねばならじの惟ひも強く 曲折の後 讀了。

事件の存在を世間一般に廣く知らしめたのは フィクションながら
 遠藤周作 『海と毒薬』であり、ノン・フィクションとしては;

東野利夫「汚名・九大生体解剖事件の真相」文藝春秋社 昭和五四年七月 (1979)
上坂冬子「生体解剖・九州大学医学部事件」毎日新聞社 昭和五四年十二月

がある。

筆者は 事件関係者の一人 鳥巣太郎元九洲帝國大學醫學部第一外科教室助教授の姪で
大阪市立大學法學部法學科を卒業、長年 大阪府立高校で社會科の教鞭を執った後、
さらに 同大學院修士課程を了へた社會保障法學の専門家とある。

私は著者の名前に興味を覺へ、か弱き文學少女を想定してゐたが、ネットで調べたところ、
古希を迎へ 現在は 豊中市議會で活躍する 恰幅のいい 筋金入りの護憲・反戰闘士である事が判った。

本來なら 人の命を救う學究の道を進んだであらう伯父の人生を狂はせた戰爭、日本が 今再び その戰爭が出來る國、戰爭をする國に變貌しつつある現状を見て 反戰護憲の立塲から 筆者は いてもたってもいたたまれずに、亡き伯父の力を借りて、『七○年目の眞實』として筆を執ったものであらう。

「関係者のその後」(P-200) によれば『事件から七○年の年月が流れ、関係者も一人をのぞいて亡き人となった。』とあり、やっと 實名で書くことが出來る時代になったと謂うことでもあらう。



│熊 野 本 │上 坂 本 │東 野 本 │事件當時の役職 │
│ 石山福二郎 │ 岩山福太郎 │ 石村吉二郎  │ 第一外科教室教授│
│ 小森 卓 │ 笹川 拓 │ 大森 卓 │ 軍醫見習士官 │
│ 鳥巣太郎 │ 飛巣一郎 │ 高須太郎 │ 第一外科助教授 │
│ 平尾健一 │ 尾頭源太 │ 平岡健三 │ 第一外科助教授 │
│ 森 良雄 │ 林 芳雄 │ 森岡良雄 │ 第一外科講師 │
│ 平光吾一 │ 平田吾八 │ 平光吾一 │第二解剖學教室教授│
│ 筒井しず子(静子)│ 筒美静子 │ 津村シズ子 │ 第一外科婦長 │
│ 佐藤吉直 │ 佐藤吉直 │ 加藤直吉 │西部軍參謀陸軍大佐│


上坂本 「三十余年後何故書くのか ー前がきに代えてー」によると 取材中 出版中止を迫る脅迫状まがいの書状が舞い込んだり、取材妨害とも謂へる仕打ちにあったりと、
事件から三十四年經っても 少なからぬ抵抗に遭遇したとのこと。
上坂は その背景を『九 洲』と謂う その土壌に歸結し、それこそが事件發生の土壌ではないかと 嘗て九洲帝國大學に在籍した 高良とみ参議院議員の法廷證言なども引用しながら問ひかけてゐる。
九洲に生まれ育った私には それを肯んずるに 聊かも吝かでない。

上坂本では、主たる關係者の中で、事件の西部軍側主役とも謂へる 佐藤吉直陸軍大佐のみが本名で記され、かつ 當時 七十九歳の本人を東北の小都市に訪ねて 直接 取材もしてゐる。
第一部 生體解剖事件 第一章 「元凶は誰か」の中で上坂の質問『・・・實驗手術とか生體解剖とかいう言葉が出たか出ないか問いただした。』ところ 『いいえ出ません。 そのご質問にもっとも忠實かつ正確に答へるならばすべては以心傳心だったと謂うべきでしょう。』と謂う佐藤吉直老人の答へに 事件發端の総ては盡くされてゐると思う。

石山福二郎教授、小森 卓軍醫見習士官は 裁判當時 既に鬼籍にあり、實名にするに
何か不都合があったのであらうか?

上坂の筆が 全般 鳥巣太郎助教授に同情的・好意的なのは 實際に本人に逢って取材が出來たせいであらうか?
平光吾一教授に直接取材が叶っていれば 内容も多少 違ったものになってゐたかも知れない。
巻末「參考資料」に記載はされてゐないが、最終原稿執筆段階で 東野本に目を通してゐた筈だが。


東野本は 執筆時 筆者は既に五十歳を越へた産婦人科開業醫で多忙であった筈だが
 恩師の『汚 名』と無念を晴らすべく、問題の B-29 墜落現塲をつぶさに尋ね歩ゐて
口の重い關係者から證言を引き出し、自身が自分の目で見た事件現塲を再現し、恩師の遺した裁判記録を精査して書き上げた渾身の畢生作である。

事件への關與が東野本通りだとするなら、判決當時 既に齢六十二歳であった
平光吾一第二解剖學教室教授への 重勞働二十五年の判決は不當に重いと謂へよう。


そもそも この裁判、横濱地方裁判所の軍事法廷とあったり 單に 横濱法廷とかたずけられたり 横濱戰犯第一號法廷、横濱米第八軍軍事裁判所とあったりで その名稱すらはっきりしない。
横濱地方裁判所の第一號法廷を使った、米第八軍軍事裁判法廷が實態ちかい呼稱であらう。

根據 (governing laws)とするところはポツダム宣言第十條にある 『・・・吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル處罰ヲ加ヘラルベシ』(・・・but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners.) にある。

そして本件は 米國の地方檢事が ギャング退治に屡々用いる『共同謀議』 (conspiracy) として 一括起訴されてゐる。
即ち、西部軍關係十一人、九洲帝國大學關係者十二人、偕行社病院關係者五人の他、既に鬼籍にあった 第一外科教授 石山福二郎ならびに西部軍偕行社病院見習士官 小森 卓を加へた合計三十人である。

結果的に全員無罪となった偕行社病院關係者は別として、西部軍關係 と 九洲帝國大學關係者では審理過程に於いて 利益相反の發生が豫知され、現實に 最大公約數を目指す米人辯護士の辯護方針により 同じ大學關係者内部でも 第一外科關係者と第二解剖學教室關係者間で 利益相反が惹起、さらには 第一外科關係者間ですら利益放棄を強要される事態が發生してゐる。

利益相反者は分離裁判とするのが訴訟の常識であり原則であり、且つ又 利益相反者同士を同じ辯護士が擔當しないと謂うのが訴訟の根本である筈だが、軍事占領下の日本では 日本人被告人には その常識や原則すら適用されなかったと謂う事である。
爲に 家族を含めた被告人同士の感情的行き違いが七十年間尾を引いてしまったようだ。

また、就中 第二解剖學教室關係者には 生體解剖 (bibisection) と謂う言葉に異常なまでの反撥があるようだが、現實に 八人の米人捕虜が帝國大學の構内で 解剖臺に載せられて 麻酔で意識は無かったとはゆえ、現實に生體から屍體に轉換される、あってはならない、異常行爲が行はれた事實は覆うべくもなく、八人の犠牲者とそのご家族への視點をも忘れてはなるまい。

いずれにしても 傷ましく かつ 忌まわしい事件であり、戰爭さへなかりせばの惟ひを新たにする。

偖て、遠藤周作がフィクション初出『海と毒薬』を雑誌文學界に聯載を始めたのが
昭和三十二(1957)年六月號。 これに先立ち、三月に 九 洲に取材旅行に行ってゐる。

その時の取材ノートを見るに、事實關係がかなり間違ってゐる。
三月四日、午後一時、毎日新聞社福岡支局に寄る。 それから西日本新聞に行き、企畫部の草場氏に會う。  として;

(三)事件當日
(A) 第一回手術は五月十六日、塲所、第一外科三階手術塲、捕虜二名使用。
   肺臓。
(B) 第二回手術は五月十九日。 捕虜三名。肺臓、肝臓。
(C) 第三回、六月四日。 脳、一名(脳の一部摘出)
(D) 第四回、六月十四日。 血液、二名(この日、九大生野田君覗く)まず心臓、血管をヒモで結び右腕に海水注射。
右の肺をとり出し、石山は軍の參謀に「この通り、肺をとっても生きられるのだ」と言った。

とある。 第一回目の手術は五月十七日だと謂うのが定説であり、極めつけは手術塲所が『第一外科三階手術塲』となってゐる事である。

しかも ご丁寧に 翌五日 『午前中、九大醫學部を見に行く。 問題の實驗室は、毎日のK 記者の話によると第一外科、三階の手術室だそうだ。』

もしこれが事實なら、平光吾一第二解剖學教授は 全くの冤罪と謂う事になりはしまいか?

フィクションだから どうでも良いようなものの、取材が出鱈目では犠牲者も浮かばれまい。

偖て、私が圖書館から借りて來た『海と毒薬』は新潮文庫本;
昭和三十五年七月十五日發行
平成十五年五月三十日 八十九刷改版
平成十七年七月二十五日 九十二刷
遠藤は平成八(1996)年に七十三歳で鬼籍に入ってゐるので、平成十五年の改版が何を意味するのか 孰れ調べてみたい。  それにしても 息の長い賣れ行きである。

この文庫本の解説は 佐伯彰一であるが、その中で「海と毒薬」は「罪と罰」の第一部であって、『作者には、たとえ別の形においてであれ、この續編を書きつづける責任があるように思われる。』と綴ってゐる。
しかし、遠藤は 結局 書かなかった。 書かなかった理由を「關係者を裁断したとの非難」だったらしいことを匂わせる文章を遺してゐる。

私は『海と毒薬』は「毒薬」そのものであり、フィクションであっても、いや フィクションであるが故に 書くべきではない、書いてはならない書、基督者である遠藤が 越へてはならない一線を越へてしまった書だと思う。

軍事法廷でも 偕行社病院關係被告五名全員が無罪となってをり、人肉嗜食は檢察の捏造であって 存在しなかった事が證明されてゐる。

杜撰な取材を基にした遠藤の小説だけを讀めば、讀者は 恰も 軍籍にあった醫師達が 捕虜の肝臓を嬉々として嗜食したかの斯き強い印象を受ける。

これこそ「關係者の裁断(section)」、すなわち 「生體解剖(bibisection)」ではないか。
フィクッションだから なおさら許せない。  遠藤が存命なら 直ちに絶版とする事を強く求めるところだ。

佐伯彰一は 結局『留學』(昭和四十年 文藝春秋社)と『沈黙』(昭和四十一年 新潮社)が 續編なりと結論付けてゐる。


上坂も遠藤も いまやこの世にゐない。 私は 遠藤が『あれは書くべきではなかった!』
『口にしてはならない事を 言ってしまった!』と 後悔の重い十字架を背にして
 あの世へ旅立ったと思ってゐる。



(2015/07/12 初稿脱稿)

九州大学生体解剖事件 七○年目の真実 熊野以素 岩波書店 2015年4月15日
第1刷発行

生体解剖 九州大学医学部事件 上坂冬子 毎日新聞社 昭和五十四年十二月十日
 初 刷

汚名「九大生体解剖事件」の真相 東野利夫 文藝春秋社 昭和五十四年十一月十日
 第五刷

海と毒薬 遠藤周作 新潮文庫 平成十七年 九十二刷
遠藤周作文学全集 15 日記、年譜、著作目録 新潮社 二○○四年 二刷



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