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zoom RSS キリノ比大統領の大英断を頌(たた)へる。

<<   作成日時 : 2014/09/09 12:43   >>

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8月29日(金)9:00pm - 9:50pm
NHK BS1 Special 『憎しみとゆるし ー マニラ市街戰、その後 ー』を 感激と感動を以て視聴した。

キリノ大統領 (Elpidio Rivera Quirino, President of the Republic of the Philippines) が 53人の死刑囚を含む 日本人戰犯 108 名全員に恩赦を與へ 日本への歸國を許したのが 1953(昭和28)年7月、僕が高校二年生の夏休みの時の事で、TV 放送はまだなく、ラジオ、新聞、寫眞週刊誌が大々的に報道して、日本中が キリノ大統領の大英断に 感謝と感激に沸き返ったのを鮮明に憶へてゐる。

今回のNHK 番組を視聴した多くの方が 60 年前の感動を甦らせて さぞや大反響かと思いきや、殘念乍ら寡聞にして反應をみない。

加之(しかのみならづ)、ネットでは剩(あまつさゑ) 元サンケイ記者高山正之氏が「異見自在」で「元NHKプロデュサー中田整一が書いたシナリオで『嘘番組』」だと切り捨ててゐる。

中田整一氏はNHK退局の後 大正大學教授を勤め、「眞珠灣攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙傳」、「四月七日の櫻 戰艦大和と伊藤整一の最期」等の著作があるが、若干 我田引水、牽強附會、自己不都合斬捨のきらいはあるものの、高山説を鵜呑みにするにも困難を禁じ得ない。

番組では 一世を風靡した 渡辺はま子の『ああ モンテンルパの夜は更けて』誕生の經緯についても觸れられてゐる。(憲兵少尉代田銀太郎作詞、陸軍大尉伊藤正康作曲)


當時の駐比米國大使レイモンド・スプールアンス氏の傳記 (The Quite Warrior; A Biography of Admiral Raymond A. Spruance, by T.B. Buell, Little Brown & Co., Boston 1974)の關聯部分を讀み返してみて驚いた。

アイゼンハウワー大統領ならびにジョン・フォスター・ダレス國務長官の全面的同意を得て、1953年11月10日の大統領選擧に キリノ大統領が再選されることを阻止すべく、米國大使館とCIAが行った選擧妨害工作の有様が克明に記されてゐる。

しかも著者は『選擧運動はちょうど戰爭のようなものであって、惡に對して力をもちいることは善であり、・・・』とまで言い切ってゐる。

第五艦隊司令長官、海軍大學校長等を歴任した スプールアンス海軍大將は 私が最も尊敬する米國海軍軍人であり、なぜ斯くもキリノ大統領と對立したのか 全く 理解出來ない。  剩(あまつさへ)、謹嚴にして人格高潔なスプールアンス提督が 下劣な選擧妨害活動に率先して手を染めたとは。

おそらく 傳統的米國の價値觀と潔癖性の權化(ごんげ)であるスプールアンス大使は 新興フィリピンの文化と價値觀、倫理觀になじめづ 持ち前の正義感を爆發させ、他國の選擧に干渉してはならないと謂う 外交官としての禁を冒したものではなからうか?

勿論、米國が支援した對抗馬の マグサイサイ候補 (Ramon Magsaysay y del Fierro) が力量を備へた 比大統領に相應しい立派な人格者であった事は否定しないが。

大統領選擧戰の眞っ直中、日本人戰犯への恩赦が 對日感情の嚴しいフィリッピンでの選擧戰にマイナスである事を承知の上で恩赦に踏み切った大英断。  選擧に破れ、大統領任期の切れる二日前に 53 人の死刑囚への減刑を断行した勇氣と實行力。

恩赦については、教誨師 加賀尾秀忍師をはじめ 日比雙方に多數の裏方がゐたことは事實であるが、決断を下せるのは、米軍事裁判判決を引き継いだ比大統領だけであり、
『以徳報怨』の士、キリノ菲律賓共和國大統領の事は 我々日本人は決して忘れてはなりません。
   (2014/09/09)


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